橘型 【Tachibana class】

橘型:「橘」竣工時
要目(計画時)
基準排水量 1350t
公試排水量 1640t
全長 100.0m
全幅 9.35m
平均吃水 3.41m
主機械 艦本式オールギヤードタービン2基
軸数 2軸
主缶 ロ号艦本式専焼缶2基
機関出力 19000馬力
速力 27.3ノット
燃料搭載量 370t
航続距離 18ノット-3500浬(計画)
乗員 211名
主要兵装
高角砲 40口径12.7cm連装砲1基
40口径12.7cm単装砲1基
魚雷発射管 61cm四連装発射管1基
機銃 25mm三連装機銃4基
25mm単装機銃8基
爆雷投射機 両舷用2基
爆雷投下軌条 2基
基本計画番号 F55B
同型艦
総数 32隻
松型(丁型) 18隻
橘型(改丁型) 14隻
同型艦一覧 【松型】: 椿
【橘型】: 初桜雄竹初梅

計画経緯

本型は「松型」の略同型艦であり、「松型」が「丁型駆逐艦」と呼ばれるのに対して「改丁型」と呼ばれます。

ソロモン攻防戦以後、急速に不足し始めた駆逐艦の補充のために、昭和18年2月「松型」が計画されました。
正統派の艦隊型駆逐艦である「夕雲型」の建造期間は、戦時中の突貫工事のものでも1年と2~3ヶ月という長期間を要していました。
それに対し「松型」の建造期間は、一番艦の「」こそ9ヶ月を要しましたが、その後本型の建造に習熟するに連れて短縮化され平均で約6ヶ月程度になります。

しかし「松型」の竣工は、一番艦の「」が昭和19年の4月下旬でした。
海軍の将兵が新造艦を実際に目に出来たのはそれ以後のことであり、それまでの間、日本の保有する駆逐艦の総数は減少の一途をたどっていたのです。
ソロモン攻防戦以後の駆逐艦減少の主たる原因は、内南洋や東シナ海の日本側補給線に網を張っていた米潜水艦隊です。
それに輪をかけたのが、トラック空襲を始めとする米機動部隊の強力無比な艦載機群でした。
日本海軍が想像した以上のスピードで、事態は悪化していたのです。
次々と撃沈され減少するがままの駆逐艦勢力を、盛り返すことができないまでも何とか維持しようと、海軍は「松型」の建造ペースを向上させることにしました。
艦政本部は戦時急造型としてはまだまだ複雑丁寧な「松型」の設計を更に簡略化し、より工数の少ない艦型として本型「橘型」を提示したのです。
計画は昭和19年3月。
既に「夕雲型」の新規建造計画は全て破棄され、同型の最終艦「清霜」の完成まで僅かに2ヶ月の時期です。

特徴

本型「橘型」は、とにかく建造期間の短縮が至上命題でした。
目標は「松型」の6ヶ月に対し、3ヶ月。
松型」は日本海軍にとって初めての戦時急造艦でした。
そのため戦時急造艦としては、建造期間短縮のための方策が徹底されていなかったが実情です。
期間短縮のために「橘型」には「松型」以上に大量建造向けの技術を導入する必要がありました。
その技術は「一等輸送艦」や「鵜来型海防艦」「丙型海防艦」「丁型海防艦」に範を求めることになりました。

まず船型ですが、「鵜来型海防艦」における研究成果が「橘型」にも適用され船型が単純化されました。
特に船体の線は、徹底した直線化がなされることになります。
松型」まで残されていた艦首舷側のフレア(反り)が、ごつごつした直線の組み合わせに取って代わられました。
日本駆逐艦の伝統であった艦尾の曲線状成形(デストロイヤー・スターン)は、角張った直線状成形(トランサム・スターン。現在の自衛艦と同形式)に改められました。
艦首水線下のカットアップに至っては、完全に省略されてしまいました。

船殻の製造については「一等輸送艦」や「丙、丁型海防艦」が手本となります。
これらは戦時急造型として設計や艤装が既存艦に比べて格段に簡易化されており、工数が少なく抑えられ建造期間が大変短いことが証明されていました。
「橘型」もこれらに倣って工数の減少を図ったのです。
二重底構造を捨て単底構造化するなど、構造自体の簡易化もありました。
船殻の建造では特に溶接を用いたブロック工法の全面導入が功を奏していました。

松型」で手をつけられた鋼材の規格低下は本型においてより徹底され、HT鋼(高張力鋼)の使用もやめ普通鋼だけに絞られました。
鋼材の規格変更は、普通鋼は重量が重い代わりに溶接がしやすいというメリットがあります。(この頃電気溶接性高張力鋼の開発が終わってはいた模様)
普通鋼の採用によって、まだまだ鋲接が残っていた「松型」に比べ溶接部分が増やせるわけで、より急速建造に対応できるようになりました。

また艦艇建造の隘路である機関の製造においてもやや簡易化があり、「松型」に比べ中圧タービンと巡航タービンが削減されています。
艦上構造については「松型」とそれほど変化はありません。
松型」にあった22号電探専用の電探檣が廃され、電探が前檣に移設された点が目に付く程度です。

かと言って「橘型」が、いたずらに「松型」を省略しただけの艦型であるかと言うと、そうでもありません。
戦訓対策で増えたり換装された装備もあります。
特に本型において「松型」より進化した点としては、水測兵器が挙げられるでしょう。
松型」では、水測兵器として九三式探信儀と九三式聴音機が装備されていましたが、性能についてはお寒い限りでした。
これが本型では、三式探信儀と四式聴音機に改正されています。
三式探信儀は、昭和16年に海軍がドイツに送った視察団が持ち帰った成果がようやく実を結んだもので、九三式探信儀より随分と高性能になっていたそうです。
四式聴音機もまたドイツからの情報提供によって実用化されたもので、やはり九三式聴音機よりも格段に優れた性能を発揮できたようです。

ちなみに前述の四式聴音機は、艦底部に水平な直径3メートルの円形の設置場所を必要としました。
「橘型」はそのように艤装されましたが、水流が乱されるという理由から速度の低下が懸念されました。
しかし実際には、速度の低下はほとんど認められなかったそうです。

結局、個々の艦艇の性能を優秀化しようという戦前の方針と正反対の技術を必要とされたのが「橘型」などの戦時急造艦ですが、この技術はほとんど研究がされていなかったために船型の改変を含めて戦時急造体制に移行する際に手間取り、貴重な時間を浪費してしまった感が拭えません。
準備が十分でなかった点は他国も似たり寄ったりの状況でしたが、既存の建造方式では規模の違いからどうやっても「造り負ける」日本において、これらの大量生産技術が研究されていなかったのは認識不足と指摘されても仕方がないでしょう。
しかしながら「一等輸送艦」や「橘型」などを始めとする戦時急造艦の経験は、戦後造船界の躍進に大きく寄与していることは間違いありません。

経歴

本型は、1943年(昭和18年)の改訂第五次補充計画の第二次追加計画で42隻の建造が計画されました(但し予算は第84、第86帝国議会の2回に分けて要求)。
次いで昭和18年度戦時艦船建造補充計画(マル戦計画)において32隻が計画されています。
都合、74隻もの大量建造が計画されたのです。

第二次追加計画艦は42隻中、26隻が竣工しました。
残りの18隻は戦況悪化により昭和20年に計画が見直され、既に起工済みの5隻は建造中止、未起工分11隻は建造取り止めとなりました。
竣工した26隻は、そのうち18隻が「松型」で、残りの8隻が「橘型」です。
マル戦計画艦32隻は全てが「橘型」で、6隻竣工、4隻建造中止、22隻建造取り止めとなりました。
丁型」は、略同型艦も含めると、終戦までに32隻が完成したことになります。
竣工32隻中、「橘型」は14隻を占めています。

ちなみに完成艦は、艦艇類別等級上全て「松型」に分類されます。
ただ基本計画番号(船型上の分類)では「松型(丁型)」と略同型艦である本艦型「橘型(改丁型)」とに分けられており、これで語られることも多いです。
丁型」の詳細については、別途解説していますので、そちらをご参照下さい。

「橘型」は、「松型」竣工艦の多くが実戦に投入されたのに対し、全体的に竣工時期が遅かったのが災いして、既に活躍の期待できる海域はありませんでした。
竣工の早かった艦が、わずかに内地周辺の船団護衛に使用された程度です。
本型のうちの一部は本土決戦に向けて特攻兵器「回天」の母艦機能を付与され、平生沖などにおいて「回天」投下訓練を行っています。
残りは予備役に編入されるなどして各地の軍港にて防空砲台として戦力の温存に努めていました。
ですが本型に目立った戦歴が記録されることは遂になく、日本は敗戦のその日を迎えることになりました。
本型は、しかし日本敗戦後、その艦歴に輝かしい一頁を加えることが出来ました。
竣工時期が遅かったために航行可能状態で残存した隻数が多い本型は、復員輸送を命ぜられたのです。
元来戦闘艦艇として建造された本型ですが、その多くは、外地で死線をさまよった将兵たちを故国へ帰還させるという、戦闘とは無縁ですが戦後日本の復興には極めて重要な任務に活躍したのです。

同型艦略歴
昭和19年10月 5日 横須賀工廠にて起工
昭和20年 3月 5日 横須賀工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてアメリカに引渡
昭和19年10月15日 藤永田造船所にて起工
昭和20年 5月29日 藤永田造船所にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてアメリカに引渡
昭和19年 7月 8日 横須賀工廠にて起工
昭和20年 1月20日 横須賀工廠にて竣工
昭和20年 7月14日 函館港にて、空襲によって沈没
昭和19年 7月31日 横須賀工廠にて起工
昭和20年 2月 8日 横須賀工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦として中華民国に引渡
昭和19年 9月11日 横須賀工廠にて起工
昭和20年 3月 1日 横須賀工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてイギリスに引渡
昭和19年10月21日 横須賀工廠にて起工
昭和20年 3月26日 横須賀工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてイギリスに引渡
昭和19年11月 9日 横須賀工廠にて起工
昭和20年 4月28日 横須賀工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてイギリスに引渡
初櫻 昭和19年12月 4日 横須賀工廠にて起工
昭和20年 5月28日 横須賀工廠にて竣工
昭和20年 9月15日 除籍。後に賠償艦としてソ連に引渡
昭和19年 8月14日 舞鶴工廠にて起工
昭和20年 1月31日 舞鶴工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍
昭和19年 9月 1日 神戸川崎造船所にて起工
昭和20年 3月15日 神戸川崎造船所にて竣工
昭和20年 7月28日 瀬戸内海にて、空襲によって沈没
昭和19年 9月18日 舞鶴工廠にて起工
昭和20年 3月13日 舞鶴工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてソ連に引渡
昭和19年10月14日 舞鶴工廠にて起工
昭和20年 3月31日 舞鶴工廠にて竣工
昭和20年 9月30日 除籍
雄竹 昭和19年11月 5日 舞鶴工廠にて起工
昭和20年 5月15日 舞鶴工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてアメリカに引渡
初梅 昭和19年12月 8日 舞鶴工廠にて起工
昭和20年 6月18日 舞鶴工廠にて竣工
昭和20年10月 5日 除籍。後に賠償艦としてソ連に引渡
1998.01.28初出
1998.03.09改訂
2002.09.17改訂
2002.09.19改訂
2007.11.13改訂
艦型一覧
峯風型
神風型
睦月型
吹雪型 (特型)
綾波型 (特2型)
暁型 (特3型)
初春型
白露型
朝潮型
陽炎型
夕雲型
秋月型
島風型
松型
橘型
参考文献一覧
同型艦一覧
初桜
雄竹
初梅
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索引
   
       
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