秋月 【Akizuki】

秋月型 1番艦

秋月型:「秋月」竣工時

解説

「秋月」は、極めて有力な対空直衛艦として誕生しました。
彼女の存在意義は、空母機動部隊の直衛です。
長10cm高角砲8門というその強力な対空火力によって、被弾に弱い空母に敵機を近づけさせない為です。
しかし、その竣工は昭和17年6月11日でした。
つい6日前の6月5日、彼女が護衛するはずであった空母4隻が、ミッドウェイ作戦で米空母機の爆撃を受け、海上からその姿を消してしまったのです。
彼女は、他の新式兵器群の多くと同じように、「間に合わなかった兵器」であったのかも知れません。
間に合わなかった対空直衛艦は、しかしその真価を米軍に知らしめる機会をも失ったわけではありませんでした。
彼女の輝かしい戦歴がここから始まります。

「秋月」は昭和17年6月11日に竣工後、緊急出動することになります。
当時、ミッドウェイと対照的に順調に推移していたアリューシャン作戦ですが、南雲機動部隊を壊滅した米機動部隊がアリューシャン方面に機動を開始しつつある、との情報が入ります。
「秋月」は乗組員の慣熟訓練も行わないうちから、北方部隊の支援として急派されることになり、そして柱島泊地にて運命の出会いを果たすことになります。
柱島で彼女を待っていたのは、日本最強の空母「瑞鶴」でした。「秋月」は「瑞鶴」の直衛に抜擢されたのです。
もっとも、支援作戦自体は大湊に到着した時に中止になりましたが。

さて、昭和17年8月20日、慣熟訓練を終えラバウル方面へ進出した「秋月」は、ガダルカナル島奪回のために行動中であった空母機動部隊へ編入されますが、編成表上の編入であって、実際に合同したのは25日でした。
前日の24日、空母「翔鶴」「瑞鶴」「龍驤」を擁する第三艦隊は、第二次ソロモン海戦を戦い、「龍驤」が撃沈されています。
またもや「秋月」は間に合いませんでした。
しかも空母は航空隊再編成の為に一時的にトラックへ後退することになり、「秋月」は再び機動部隊から離れることになります。

今度はガ島輸送作戦に参加することになった「秋月」は単艦、トラックからショートランドへ移動します。
その途上B-17爆撃機7機に接触された「秋月」は、対空射撃を加えて1機の撃墜に成功します。
この撃墜は「秋月」の初陣であると共に、艦艇としては世界で初めてのB-17撃墜であったそうです。
同日「秋月」の写真撮影に成功した米軍は、「秋月」が有力な防空艦であると判定し、ソロモン方面の航空隊に「秋月」への不用意な接近を禁止したそうです。
実際、「秋月」のその強力な防御砲火は、B-17を含む米軍機の大きな脅威になったそうです。

その後、ガ島輸送作戦に従事した「秋月」ですが、10月22日に予定された陸軍のガ島飛行場総攻撃に合わせた連合艦隊の支援作戦に参加します。
この一連の行動の中で、南太平洋海戦という空母戦が発生し、「翔鶴」「瑞鳳」が空襲により中破したのですが、この時もまたなぜか「秋月」は空母の直衛ではありませんでした。
「秋月」はガ島周辺の敵水上艦艇の撃滅の為に行動していたのです。
しかも悪いことに、米基地航空機の空襲で至近弾を受け、機関区への浸水を発生してしまっています。

修理を終えた「秋月」は、昭和18年1月中旬、再びショートランドへ進出しますが、付近で輸送船被雷の報に接し、急いで支援に向かいます。
ここで「秋月」は浮上中の米潜「ノーチラス」を発見しますが、指揮系統の乱れもあって「秋月」は米潜の逆襲を受け被雷してしまいました。
更に修理の為に内地回航中、サイパン沖で遂に艦橋下のキールが切断するという事態を生じ、船体が「く」の字に屈曲してしまいます。
仕方がないので、艦首部を切断して内地へ戻った「秋月」は、同型艦「霜月」の艦首を譲り受けて修理を急ぎました。

「秋月」の武勇談の極めつけが、この修理を終えた後に生まれました。
カビエン沖の対空戦闘で、僚艦3隻と共同で、13機以上もの米軍機を叩き落とすという大戦果です。
85機以上の敵機を相手にした軽巡2、駆逐2という小艦隊が、2隻の損傷と引き換えにこれだけの大戦果を上げたのは、日本軍においては極めて希有な例です。
「秋月」こそこの戦果の立役者であり、彼女自身が無傷であったことからも、「秋月」の対空制圧能力の高さが実証されたと言えるでしょう。

それにも拘わらず、彼女はなぜか空母直衛を命ぜられることが少なく、決定的な場面においてその力を発揮する機会に恵まれませんでした。
しかし翌昭和19年6月のマリアナ沖海戦、「秋月」は遂に第一機動部隊に編入されます。
「大鳳」「翔鶴」「瑞鶴」を擁する精鋭機動部隊の直衛に就いたのです。
が、「大鳳」「翔鶴」が相次いで沈没します。
それは、「秋月」が主敵とした航空機によるものではなく、潜水艦による襲撃によってでした。
「秋月」を含む、日本駆逐艦の対潜制圧能力の低さを実証した損害でした。
そしてそれは日本海軍の致命傷にもなったのです。
続く空襲では、ただ1隻残った「瑞鶴」に群がる敵空母機を迎え撃ち、「瑞鶴」への直撃弾をただ1発に抑えることが出来ました。
「秋月」の面目躍如と言いたいところですが、しかし惨敗であることには変わりなく、これ以後、日本機動部隊が立ち直ることはありませんでした。

昭和19年10月20日、「秋月」は再び空母「瑞鶴」の傍らを航行していました。
今度の戦場は比島沖、しかし機動部隊の任務は敵機動部隊との決戦にはなく、水上打撃部隊のレイテ湾突入を容易ならしめる為、米機動部隊の攻撃を吸収することにありました。
すなわち敵機の来襲は必至であり、しかもそれを迎え撃つべき艦上戦闘機はほとんどなく、敵機を阻止する方法は対空砲火のみということで、およそ空母の助かる道はほとんどない「囮」作戦でした。
しかし「秋月」は僚艦の「初月」「若月」「霜月」と共に、空母群の直衛の任に就きます。
10月25日8時15分、米空母機が来襲。対空戦闘開始。
そして戦闘中の8時45分、「秋月」は米急降下爆撃機の投下した爆弾が命中、搭載魚雷が誘爆したらしく艦中央部が爆発、「く」の字になって沈んで行きました。
戦いは始まったばかりだと言うのに、あまりにも早すぎる退場でした。
同日14時14分、「秋月」が護った「瑞鶴」、エンガノ岬沖に沈没。これによって日本機動部隊は終焉を迎えました。
「秋月」最期の日は、日本機動部隊最期の日でもあったのです。

略歴
昭和15年 7月30日 舞鶴工廠にて起工
昭和17年 6月11日 舞鶴工廠にて竣工
昭和17年10月 3日 ガダルカナル輸送作戦に参加
昭和17年10月25日 ガダルカナル輸送作戦中、ツラギ付近にて米軍機の空襲により中破
昭和17年11月 8日~ 横須賀にて修理(S17.12.16修理完了)
昭和18年 1月19日 輸送船救援任務中、ブーゲンビル島沖で米潜の雷撃により中破
昭和18年 3月14日 内地回航中、サイパン出港後にキール切断
昭和18年 7月 5日~ 長崎にて修理(S18.10.31修理完了)
昭和18年11月下旬~ 南方にて、輸送・護衛任務
昭和19年 6月15日~ マリアナ沖海戦に参加
(第一機動部隊・甲部隊・第十戦隊・第六十一駆逐隊)
昭和19年10月25日 比島沖海戦(エンガノ岬沖海戦)に参加
(第一機動部隊・第二駆逐連隊・第六十一駆逐隊)
米艦上機の空襲により被爆、沈没
1998.02.08初出
1998.02.10改訂
2007.11.13改訂
艦型一覧
峯風型
神風型
睦月型
吹雪型 (特型)
綾波型 (特2型)
暁型 (特3型)
初春型
白露型
朝潮型
陽炎型
夕雲型
秋月型
島風型
松型
橘型
参考文献一覧
同型艦一覧
秋月
照月
涼月
初月
新月
若月
霜月
冬月
春月
宵月
夏月
花月
参考文献一覧
索引
   
       
参考文献一覧